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新内横丁の調べから (31)

新内節「いろは」考 第2章

人間国宝鶴賀流十一代目家元 鶴賀若狭掾

・へ 下手と思っていれば上達する
自慢高慢芸の行き止まりと云う。芸を語る上では幾分自信は持つのは当然。ある程度以上に稽古を積み修業を重ねて、人に聴いて頂ける芸になる。だがそれは芸の上達の過程である。未だ己の芸の未熟を悟り死ぬまで着かぬ芸の高みを生涯目指す。自信と高慢は全く違うのである。
・と 常磐津は奥さん、清元は芸者、新内は花魁の色気
昔から豊後節系3流派の色気の特徴を右の如くに例えられた。誠に言い得て妙である。現在の曲調の流れから見ると幾分の変化は感じられるが、大方各々の色気の雰囲気はは当たっていると思われる。
・ち 小さい芸には花がない
あの人の芸は小さいとか大きな芸だと評する。小さい芸は小手先の器用さで節を廻してきれいにまとめて、訴える力と豊かな表現力と変化に乏しい。物語を語る浄瑠璃は心情場面老若男女他総て状況が異なる。大胆で緻密でゆったりと細やかに語る大きな芸に花と魅力がある。
・り 良薬は耳に痛し
美言=真ならず 真言=美ならずと言う。己の傍に褒めてくれる人やヨイショの人やイエスマンばかりいると己は気分は良いが進歩上達はない。諫言苦言を与えてくれる人が真の贔屓であり良薬でもある。
・ぬ 盗む芸 盗めぬ芸
稽古は師匠から教わる。口伝である古典芸の習得方法。昨今は録音機器の発達で録音した師匠の曲を家で覚える事が多く弊害多し。師の芸を覚えるとは真似る事。その後上達し本職となると教わるのではなく自分から師の芸を盗む。師が教え得ないものを摂り我がものと成す。然しどんなに努力しても盗めない芸がある。それは各人が持つ個性で特徴。才能と努力次第で師よりも魅力ある芸に到達する事がある。
・る 瑠璃も芸も磨けば光る(照らせば光る)
素質や才能は磨いてこそ輝く。豊かで優れた才能を有していても、苦労して修業に励まなければ開花する事はない。小手先の器用さでは本物は生まれず、それも若いうちの努力が肝要。鉄は熱い中に…。然し年を重ねての習い事は認知症予防には最適。歳を取っても頭は光る。
・を 老いては故にしたがい
温故知新。歳をとったら初心に戻る。古典の奥深さを研究して、先達の遺した教えに忠実に従う。技巧や浅はかな欲にとらわれずに淡々と基本に沿って芸に向かって進む。声や節の技を超えての老いぼれの味で、人に聞かせるでもなく、己一人、到達せぬ芸に虚心坦懐の境地で向う。
・わ 若い芸より 若々しい芸 枯れた芸は駄目
芸の未熟は若い芸。でも若い芸は頼もしく無限の可能性を有す。それは体力、疲れを知らない声の持続力。巧拙を通り越した精魂こめて芸に取り組む瑞々しい魅力。それが若々しい芸。芸は枯れたら引退すべき。
・か 河東裃・外記袴・半太羽織に・義太ももしき・豊後可愛や丸裸
河東節・外記節・半太夫節・義太夫・豊後節と江戸時代の流派の特徴を揶揄して巷で言われたもので、説明がなくとも雰囲気は大方分かる。この中で外記節と半太夫節は絶えて、浄瑠璃の中に少し取り入れられて残っている。豊後節は常磐津節・新内節・清元節の源流である。
・よ 吉原(遊廓)が新内の故郷
新内は吉原で生まれた訳ではないが、初代鶴賀若狭掾が作曲した3名曲が吉原を題材としたものである事と、新内の哀調切々とした曲調が遊郭で人気を博した為に、吉原が新内の故郷の如き存在であった。

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