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新内横丁の調べから(8)

新内が東宝の舞台で輝いた

人間国宝鶴賀流十一代目家元 鶴賀若狭掾

1と月興行で2大役者の山田五十鈴さんと歌舞伎の尾上松緑さんの新内演奏は、新内フアンならずとも大喝采の大喜びの舞台であった。新内も大いに輝いた。
山田五十鈴さんが戦後間もなくの頃、神楽坂の和菓子店の五十鈴の宣伝に頼まれて来たことがあった。駕籠に乗って神楽坂通りを道中してお店に来たのを覚えている。
そのことを山田さんに話したら、少し覚えていらした。
さてその鶴八鶴次郎の劇中の演奏に使われているのは、本来「東海道中膝栗毛」の赤坂並木の段だが、この曲だと聞かせ処が少ないので、あえて「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)・雪責め」を提案したのであった。この曲だと三味線も語りも派出で聞かせどころが多く、新内の美点が多いので演奏のし甲斐がある。演出の戌井先生も賛成して下さり実現した。
松緑さんは初日、2日目あたりは不安でしたのか、劇中の演奏中に山台後ろの金屏風の裏に私が入るよう頼まれた。
役者として失敗は許せないと思うのは当然ですが、その心配は杞憂に終わり、流石に古典の大御所と感服した。
1か月興行の中日(なかび)に松緑さんの楽屋へ挨拶に行くと「師匠、ハイこれはお礼の気持ち」と言って細長い箱を頂いた。「有り難うございます」とお礼を申して頂いて来た。親友の落語家の故柳家つば女師匠と一緒であった。
チョコレートかなと思ってつば女に上げようかなとしたが、家へ持ち帰って開けてみたら、何とこれがコルムの高級腕時計であった。あげなくて良かった。私の親父は松緑さんの大フアンであったので、殊更私は嬉しくて小躍りした。お袋も大変喜んでいた。これで少しは親孝行したかな。その尚大切に使用しているが、現在は分解掃除中である。そして山田さんから頂いた細身の角帯はまだ未使用で大事に仕舞ってあるが、この帯と時計は私の生涯の宝物である。
「鶴八鶴次郎」の芝居の打ち上げは、紀尾井町の松緑さんの邸宅で行われて多くの人が大広間に集まった。焼き肉が部屋の中で焼かれ、松緑さんが手ずから焼いて下さった。
私はかなりアルコールを頂いて大いに酩酊した。その上で山田さんや権十郎さん等とマージャンをしたが、日頃滅多にやらない下手な私は、酔いも回っていてかなり負けた。
皆さん故人になられたが楽しい懐かしい思い出である。
また松緑さんの素敵な声と、気持ち良い口跡と歯切れ良い江戸前のセリフ回しは今でも耳にしっかりと残っている。
榎本滋民先生との縁で東宝と深い繋がりが出来、新内の伝承継承と宣伝に活動する私にとっては、誠に有り難い後援者であり恩人の一人であった。美空ひばりさんの舞台のお手伝いをする事にもなったのである(次号)。
榎本先生は新内普及の為に新内芝居の台本を5本書いて下さった。私はかねがねマイナーな新内を多くの人に聴いてもらい、知ってもらう手段としては、知名度の高い芸人に出演してもらうのが効果的だと考えていた。
先生の新内芝居のオリジナル脚本と演出で、俳優や落語家の応援出演を得ての舞台が実現した。毎回大入りで新内の宣伝普及の功を奏した。楽しい仲間と面白い舞台であった。私も鬘(かつら)を初めてのせて芝居に出演したのであった。
全員低ギャラの友情出演でありながら毎回赤字公演で、その都度母親に借金をしたが、とうとう返せず仕舞いであった。スポンサーの母の店「神楽坂《喜久家》」に感謝

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