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新内の始祖、「初代 鶴賀若狭掾」の記念碑

新内節の祖である初代鶴賀若狭掾は1716年に現在の福井県敦賀市で生まれた。
若い頃に江戸へ下り芝の高輪に住む。

宮古路豊後掾の門人であった富士松薩摩の門下となり富士松敦賀と名乗っていた。その後師と決別し朝日敦賀太夫と名乗りっていたが、朝日の苗字は公より禁止された為に出生の地の名を取って、1751年に鶴賀若狭掾と改名し鶴賀節の祖となる。
「明烏夢泡雪」「若木仇名草(らん蝶)」「伊太八」等を多数作曲し、シンガーソングライターとして活躍し新内を世に知らしめる。1786年没。

今年の10月22日に初代鶴賀若狭掾の顕彰碑が、福井県敦賀市内の由緒ある気比神社大鳥居の前に設置され、その除幕式が行われた。顕彰碑は高さ120センチ、幅150センチ、厚さ30センチで御影石を自然石風に仕上げて台座の石の上に据えられた。表には大方右のような文と、裏には私の名前と設置に尽力した方の名前が刻まれる。長く市の誇りとして顕彰される事となった。

当日は敦賀市長を始め関係者と市民が集まり、碑の前で私と鶴賀伊勢次郎で記念演奏を披露した。

新内の祖を祀る千歳烏山の「幸龍寺」に於いて〝若狭祭り″を催しているが、顕彰の石碑の建立は初であり、新内の伝承継承者が減少する現在、誠に有り難く深く感謝を申し上げる次第。初代鶴賀若狭掾も、亡くなられた諸先達の方々もさぞお喜びの事と存じ感激した。

鶴賀若狭掾 「邦楽の友」より

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