日本の大災害とポーランド公演記(1)
悲しみは突然にやって来ます。
天災は忘れた頃にやって来る。いや日本人は忘れてはいません。
日本は災害の国です。毎年毎年、地震台風水害が各地で起きてます。
然し今回の天災は余りにも大き過ぎて想定外であり、人間の予想をはるかに超えたのです。
自然の壮大な力は人間の想像や頭脳の限界を遥かに超えたのです。
過去に体験した如何なるデータも人間が考え得る憶測でしかありません。
自然の恵みも怒りも神の領域であります。
云って見れば人間にはそれらは防ぎきれません。自然界は人間の力の及ばぬ所です。
然し人間の知恵で最小限に防ぎ得る事も可能です。
今回の大震災はどうであったでしょうか。
こらからの英知を結集した検証が今後にどう生かされるかが人間の出来得る最大の限界です。
戦中の東京大空襲のあった3月10日の次の日の3月11日午後に勿論天災は突然襲って来ました。
そして我々日本は戦後最大の危機に直面したのです。日本の受難の幕明きです。
その翌々日の13日に私は昨年から企画されていた在ポーランド日本大使館主催のショパン生誕200年記念事業公演の為にポーランドのワルシャワへ飛び立ちました。その報告を簡単に記したいと思います。
複雑な思いで成田空港に向かい、前日欠航し、この日も飛ばないだろうと予測しつつ、それでも高速道路も通行可能で空港に車を運転して行きました。フィンランド航空で予定通りの出航です。
日本も心配、残す家族も案じられる。然しポーランドの2か所ともチケットはソールドアウトでもあり、芸人として日本人としてキャンセルは出来ない…そんな思いの8名が日本をあとに飛び立ちました。ヘルシンキでトランジットそしてワルシャワへ到着。余程の厳寒と思っていましたが、それ程の寒さではなく一先ずホットしたのでした。
明くる日、会場にて現地のスタッフと出演者全員で舞台の照明や音響や大道具の仕込み、そしてリハーサルにかかる段取りになった昼食後でした。
日本大使館から公使が沈痛な面持ちで入って来ました。公演中止の命令の知らせで来たのです。外務省通達で世界中の日本大使館の文化行事は当分(期限なし)中止と決定されたのです。
でも 何故・・・チャリテイでもよいのに・・・と落胆の8名。でも考えてみれば致し方ない事と全員寂しく舞台撤退となりました。
本番のある筈の15日は浮いた気持にもなれずに市内を少し観光しました。ワルシャワは第2次世界大戦でドイツ軍に徹底的に跡形もなく破壊された都市でした。
丁度この度の大津波によって壊滅状態になった太平洋沿岸の街と同じ状態です。
それが市民達の大いなる努力によって少しずつ復興し、現在ではほとんど以前の街並みに復元されています。そして今でも修復工事が続いているのです。
ワルシャワは中止を余儀なくされましたが、クラクフは催行するとの決定の知らせが入り勇躍、明朝公演する事となったクラクフへ汽車での移動。久し振りにコンパートメントの車両に乗りクラクフ市に向かいました。(第2回に続く)